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自分で答えを出すということ

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人生には、たくさんの岐路があります。

その時々で、私たちはどうするか選択を求められます。

特に人生に大きな影響を与えるような重大な選択については、戸惑い悩み、簡単に決めることはできないものです。

ぐるぐると自分の中で考えを巡らせているうちに、正しいと思えるような答えを、どこか別のところに求めたくなるかもしれません。

けれど、そうやって他人の意見や権威あるものに頼って、自分の中で思考することなく答えを出すことに、私は危うさを感じます。

うまくいったときはいいですが、思ったようにならないときに、自分以外のせいに責任を転嫁してしまうことが往々にしてあるからです。

Aの道を行くか、Bの道を行くか。あるいは、第三の道を探るのか。

自分の頭で考え尽くし、自分なりの最適解に辿り着くプロセスがあれば、結果はどうなろうと、後悔はないと思うのです。

少なくとも、私はそうです。

自分自身との対話を重ね、自分で答えを出すということは、その責任を引き受ける覚悟を持つことに他なりません。

たとえ、自分なりの最適解が、一般的な価値観とは対極的なところにあったとしても、自分自身が納得しているなら、それでよいのです。

後になって、「もっと良い方法があったのに」と他人から言われ、実際にそうであったとしても、その時の自分にはその方法を調べる術がなかったわけです。それも含めて、自分の責任だと潔く引き受けることができます。

もし、うまくいかなことがあったとしても、そこにあるのは失敗ではなく、気づきであり、学びです。そこから、またチャレンジすればよいのです。

こうした積み重ねが、人としての成長を促し、自立心を養うことにつながっていくものだと考えます。


一方、私は仕事柄、労使問題などクライアントからの相談を受けることがよくあります。

例えば、法律等に規定されている明らかに正しい答えがあるものなら、率直にその答えを示します。

しかし、相談のほとんどは、正しい答えがあるわけではありません。

どうしたらよいか見当もつかない。法律も関わってくる。だから、専門家に援助を求めに来るのです。

こうしたとき、まずクライアントの話をよく聴きます。そして問題の本質はどこにあるか考え、本人はどういう解決を望んでいるのか思いを巡らせます。

相談に来られている以上は、唯一の正解があるわけではない問題について、何らかの解決策を示さなければなりません。

ただこのとき、私は「こうすればいい」と一方的に解決案を提示することはしません。

解決案の選択肢を3つ程度示すように心がけています。

そして、それぞれの選択におけるメリットや、リスクとなり得る点について、できる限り丁寧に説明します。そうすると、イメージが共有できるようになります。

そのうえで、クライアント自身によく考えてもらい、最も好ましいと思う解決案を自らの意思で選び取ってもらうのです。

誤解のないように言っておくと、決して責任を転嫁しようというつもりはありません。

こうしたプロセスを踏むことで、当事者意識と解決に向けたコミットメントが高まると考えているからです。

人によっては、「これが正しい。こうしなさい」とプロフェッショナルから助言を受ける方が安心だ、という場合もあるでしょう。

でも、私はそういうスタイルがどうも苦手です。

このようなやり方をするようになったのは、私自身の特性に起因するところもありますが、それだけではありません。

かつて臨床心理学を学んでいたときに、アメリカの心理学者、カール・ロジャーズが提唱した「クライエント中心療法」に出合い、とても腑に落ちる感覚を得たことも影響しているのだろうと思います。

ロジャーズは、人間性心理学の代表的な人であまりにも有名です。専門家主導の指示的な心理療法に対し、支援の目的は個人の成長と自立にあるとして、来談者が本来もっている力を発揮できるよう援助するアプローチを取りました。

私が日頃受ける相談は、専門知識等を必要とすることが多いので、ある程度の道筋を提示する必要はあります。

それらの選択肢から、クライアントが自分で考え、「これだ」という答えを出せるよう支援することが大事だと考えています。


混沌とした世界の中で、自分なりの最適解はどこにあるか。今日も私は考えます。

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