こんにちは、佐佐木 由美子です。
キャリアの話になるとき、「自分の目標がわからない」「やりたいことが見つからない」という声をよく聞きます。
明確な目標がないことに、どこか引け目を感じてしまう…
そうした雰囲気を感じることも珍しくありません。
思うに、この国では目標設定という文化が根付いています。
何かを成すためには、適切な目標を立て、設定した目標に最短ルートでどう辿り着くか。
目標から逆算して動く、という思考様式が、いつの間にか染みついています。
タイパ(タイムパフォーマンス)が重視されがちなのも、そうしたことと関係していると言えるでしょう。
ビジネスの世界では、目標管理の手法を徹底して実践してきました。
この目標の傍らには、絶えず進捗を図るために指標があり、測定され、評価を受けることになります。目標が高ければ高いほど、プレッシャーやストレスも大きくなります。
ビジネスに限らず、私たちは常に社会から「明確なゴールを持て」と言われているような気がしてしまうのかもしれません。
でも、目標を立てることに、少し疲れていませんか?
あるいは、立てたはずの目標にどこか違和感を覚えてしまうことがある……など。
そんな人におすすめしたいのが、「目標という幻想 未知なる成果をもたらす、<オープンエンド>なアプローチ」(ケネス・スタンリー&ジョエル・リーマン著、岡瑞起監修、牧尾晴喜訳)という本です。

共著者であるケネス・スタンリーとジョエル・リーマンは、アメリカにおけるトップクラスのAI(人口知能)研究者であり、研究の知見をわかりやすく一般向けに執筆されたのが本書です。
アメリカといえば、日本以上に過酷な目標達成の文化で知られる競争社会。
しかし、二人の研究での発見において、目標を設定した方が、かえって目標が達成されえないというパラドックスが提示されたのです。
明確な最終目標を設けずに新規性の追求だけを重視する「ノベルティ・サーチ(新規性探索)」という探索手法を提唱したことによって、「目標のパラドックス」が浮き彫りになりました。
本書でいう「目標」とは、KPI (Key Performance Indicator)やOKR (Objectives and Key Results)のような、事前に定められた具体的で測定可能な到達点、すなわち「objective」を指しています。
言葉は似ていますが、目的(purpose)や意義(meaning)そのものではありません。
ではなぜ、目標をもたないほうが、かえって価値ある成果にたどりつけることがあるのでしょうか?
創造や探求の現場では、明確なゴールを定めないからこそ、開かれる余白が生まれます。
そして、探索が続くことで、偶発的な出会いや予測不能な創造が連鎖し、計画的には到達しえなかった価値や視点が立ち現れてくるのです。
著者は、こうした探索を「トレジャーハント(宝探し)」と呼び、そのプロセスでのセレンディピティ(偶然に起きた幸運)を大事に考えています。
心が躍るような成果(発見、創造、発明、イノベーション、さらには真の幸福など)を得るためには、目標がむしろ障害となります。
そうした成果は、目的に向かって最短距離を進んだ結果ではなく、偶然の探索から生まれたものであり、目標を設定するとそれに執着するあまり、創造的な発見の機会を奪ってしまうことがあるのです。
こうした考え方は、心理学者ジョン・D・クランボルツ教授らの「Planned Happenstance theory(計画された偶発性理論)」に通じるものがあります。
この理論では、成功した人の多くは、綿密な計画を立てていたわけではなく、偶然の出会いや経験を柔軟に取り入れた結果、道が開けたということを明らかにしています。
そして、クランボルツ教授は、偶然の出来事をどう生かすかが大事であると説きました。
そのために、選択肢を常にオープンにしておくこと。決して計画を立てることを否定するわけではありませんが、うまくいっていない計画に固執するべきではないとも言っています。
予期せぬ出来事をチャンスにつなげていくには、「好奇心(Curiosity)」や「持続性(Persistence)」、「楽観性(Optimism)」、「柔軟性」(Flexibility)、そして結果がどうなるかわからない場合でも行動することを恐れない「冒険心(Risk-taking)」が大切だとしています。
こうした探索的な姿勢が、セレンディピティを引き寄せるのです。
目標を設定し、緻密な計画で最短ルートを求めるやり方ではなく、どの方向にワクワクするかを手掛かりにする。
すると、スティーブ・ジョブズのように、後から振り返って「点と点がつながる瞬間」が訪れるのかもしれません。
本書「目標という幻想」の中でも、(第2章に)目標なき者の勝利者として、俳優のジョニー・デップやベストセラー作家のジョン・グリシャム、村上春樹らの例を取り上げています。
彼らに共通するのは、成功者はもともと歩んでいた道から逸れていく、ということです。
当初は正しい目標と思われていたものが、別の地平線への足掛かりになっていたにすぎないということに気付いてしまうのです。そして道から外れることを恐れず、心の赴くままに大胆に方向転換することを厭いません。
この手の話は、ごく一部の限られた成功者のストーリーだと思われるかもしれません。
しかし、著者は「セレンディピティとは、それほど選り好みをするものではない」と語ります。
むしろ、特定の目的地をもたずに、手に入れられそうな足がかりを探す旅にでることが有効だと示唆しています。
これは、「道なき道」を歩もうとする人にとって、希望を与えてくれるのではないでしょうか。
キャリアとは、一本道ではなく、踏み石を探しながら進む旅です。
その中で、偶然の出会いや出来事が、次の一歩を導いてくれます。
この世界は、成功するための目標や指標で溢れかえっていますが、それが人生を意思のないものに変えているとも言えます。
『目標という幻想』が教えてくれるのは、目標に捉われることなく、自分の直感を信じ、好奇心の矢印に従ってみようというシンプルな真実です。
変化に対して、開かれた姿勢でいること。
そして、探索のプロセスを楽しむこと。
目標を持たないことは、諦めではなく、思考の自由の回復です。
そして、その先に、自分だけのキャリアや働き方が見えてくるはずです。

このエントリでは、キャリアの視点から取り上げていますが、本書『目標という幻想』では、オープンエンドなアプローチについてより詳細に書かれています。原題『Why Greatness Cannot Be Planned: The Myth of the Objective』
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