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アンリ・マティスと幸せなキャリアについて

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こんにちは、佐佐木 由美子です。

東京都美術館で開催中の『マティス展』に行ってきました。

アンリ・マティス(1869~1954年)と言えば、20世紀を代表するフランス絵画の巨匠。

「色彩の魔術師」の異名を持つマティスは、フォーヴィズムを生み出し、色や形を生涯にかけて探求し続けた類まれなる芸術家の一人です。

マティスと言えば、赤を基調とするヴィヴィットな色合いの作品を連想される方も多いかもしれません。

例えば、《マグノリアのある静物》。

アンリ・マティス(1941)油彩/カンヴァス 74×101cm

迸る生命エネルギー、魂の輝き、生きる歓びが、一枚の絵画から伝わってきます。

それは一瞬にして観る者を魅了し、歓びで心が満たされるような感覚に包まれます。

そして、感じるのです。

マティスは、本当に絵を描くことが大好きだったのだということを。

本来の自分に備わった力、生のすべてを作品に注ぎ込み、精神性と作品を一体化させることで、より高次なものへ昇華させていると思えるのです。

一見すると、感性のままに描いているように思えるかもしれませんが、構図もフォルムも色彩も、緻密に考え抜かれたものに違いありません。

実際、この作品の素描は数十枚に及んだそうです。

では、マティスが底抜けに明るく幸せに満ちていたからこうした作品を描けたのでは?というと、それもまた違います。

マティスの生きた時代は、二度に渡る世界大戦が勃発した暗い時代であり、折しも作品を描いた1941年はナチスによるフランス侵攻のあった翌年。どれだけ心に影を落としたことでしょう。

さらに言えば、マティス自身が癌の大手術を受け、余命宣告を受けるほど肉体的に厳しい状況でもありました。

そうした中で、これだけの作品を創り上げているのです。

マティスにとって、芸術作品を生み出すことは、まさに天職であり、彼の使命でもあった。

そうとしか言いようがありません。


マティスの作品に触れて、感じたことがあります。

それは自分が好きなことを仕事することは、幸せに働くうえで欠かすことのできない要素だということです。

それは、仕事のやりがい、もっと言えば生きがいにつながります。

こういうと、「世の中そんな甘いものではない」「好きを仕事にするなど、何と青臭いことを言っているのか」と思われるかもしれません。

世間では生計を立てるために、多くの人がさして好きでもない仕事をしていることも事実でしょう。

それも、かつては「定年」といった分かりやすいゴールがあったので、まだよかったのかもしれません。

ところが、人生が長期化する中で、何年も働く期間が延びているのです。

そうなると、ますます幸せに働くことが、大きな意味を持つようになります。

マティスの軌跡

モダン・アートの成り立ちに大きな影響を与えたマティス。

そもそも彼は、最初から画家を目指していたのでしょうか。

マティスは1869年、フランスで豊かな穀物商人の長男として生まれます。

優秀な成績で期待も大きく、父親の命により法律学び、パリで法律家としてキャリアを歩み始めます。

ところが、20歳のときに病を患い、1年ほど療養することになりました。

その際、心の慰めにと、母がマティスに絵具箱を贈ります。

その出来事が大きな転機となり、マティスは画家を志すようになります。

法律家から画家という、大胆なキャリアチェンジ。

当時で考えても、画家として大成するのは、大変なことだったのではないでしょうか。

その後、ギュスターヴ・モローに師事して絵画を学び、作品を描き続けますが、一向に作品は売れません。生計のために、時にはペンキ塗りの仕事などしながら、描き続けます。

マティスの初期の作風は写実的なもので、「これがマティスだ」だと言われない限り(少なくとも私には)わかりません。

忠実なスタイルから後期印象派の影響を受けて、自由な色彩による絵画表現を追究するようになります。

そして30代半ばにして、《豪奢、静寂、逸楽》でフォーヴィズムの新たな境地に到達。ようやく日の目を見ます。

マティスが画家を志してから、すでに15年程の歳月が流れていました。

その後、キュビズムの影響を受けたり、作風を変えながら、独自の世界観を切り拓いていきます。

70代になると大病を患い、その後は体力の低下もあって、ベッドの上でも制作ができる切り紙絵という手法で独自の作品を生み続けます。

切り絵はマティスにとって長年の懸案事項であった色彩とドローイングの対立を解消する手段として、習作のために用いてきたもの。それがハサミで描くという画期的な手法として、展開されるようになりました。

最晩年にあたる1948年から1951年にかけては、ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂のためのプロジェクトに没頭しました。建築、装飾、家具、オブジェ、典礼用の衣装などを含むこの総合芸術の集大成と言えます。

人生の幕を下ろす最期まで、制作意欲が衰えることはありませんでした。


マティスは、自分の内なるままに従い、大好きな芸術に取り組み続けています。

普通の人であったら、諦めてしまうのではないでしょうか。

そこまで夢中になって創作し続けられたのは、職業としてというより、好きだという純粋な想いが根底にあったからでしょう。

もちろん好きなことをしていれば、いつか絶対に成功するなどとは言いません。

しかし、効率的に「成功するキャリア」を手に入れる方法などあるでしょうか?

何事も、やってみないとわかりません。

自分が好きなことや興味・関心のあることをしていれば、その先に、また新しい風景が見えてくると思うのです。

それに、好きなことならば、苦になりませんよね?

私たちはすぐに、これでいいのか? これが正しいのか? うまくいくのか?と、答えを求めがちですが、人生に唯一の正解などありません。

働き方を変えていく

再び戦争が始まると、マティスは高齢と病気のためにフランスを離れることを諦め、アトリエを構えていたニースからフランス南東部にあるヴァンスへと居を移します。

そして療養を続けながら、グワッシュで彩色された鮮やかな切り紙絵の制作に打ち込みます。

かつてのように絵筆を握ってキャンバスの前に立つことができなくても、マティスは高齢や病気を理由に創作活動を諦めませんでした。

ベッドのうえでも制作できるように、これまでのやり方を変えています。

つまり、自分に合わせて働き方を変えているのです。

生きていれば、環境やテクノロジー、人間関係、自分自身をも変化していきます。体力面での変化もあれば、内面(価値観)の変容もあるでしょう。

そうしたときに、抵抗や失望するはなく、それらを受入れてしまうこと。そして、柔軟に変わっていく力があれば、きっと前に進めるはずです。


マティスは、《マグノリアのある静物》の描いた頃、このように語っています。

「生き延びて、私は自分流にやれるようになりました」

何という重みのある言葉でしょうか。

長い時間を積み重ね、変化を受け入れながら、好きなことを追い求め続けてきたマティス。

彼は、自分の人生を見つけたのです。

執筆者プロフィール
佐佐木 由美子

社会保険労務士、文筆家、MBA。グレース・パートナーズ株式会社代表。働き方、キャリア&マネー、社会保障等をテーマに経済メディアや専門誌など多数寄稿。

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